ストレスがあるということは、前向き生きようとしている証拠

 古い雑誌を読み返していたら、こんなことが書いてあった。
 なになに・・・「完治を目指すのは敗北」うははーそりゃそうだよね。自分の感情がそこにあるのを認めることが第一歩。その存在を認めて声をかけるのです(口に出す必要はなし)「私のイライラさん、こんにちは。あなたがそこにいるのを、私は知っていますよ」ポイントは「イライラさん」と名前を付けることと、「知っていますよ」と認めること。自分自身とイライラを分離し、距離を取る。クヨクヨでもカリカリでもムカムカでも同じ。ネガティブな感情は、抑えようとすると逆に大きくなり、結果としてその感情に振り回される。距離を置き眺めるようにすることだそうだ。ほほう・・・。 
 
 「クヨクヨしない」「スッキリする」などというポジティブな本を読めば、そのときはそういう気持ちになれても、続かなかったときに「続けられなかった」という事実が新たなストレスのもととして残ります。ネガティブになっていると感じても、無理に明るくする必要はありません。悩みの禁じ手は「やみくもに自分を責める」「情報不足」「堂々巡りの思考をする」あいたたた・・・思い当たることだらけ。「物事のとらえ方は無数にある」

 
 上手に悩むには気晴らしも大切。煮詰まったら、頭を占領していることをいったん棚上げにして全く別のことをしてみる。棚上げはあくまで一時的な処置。再度向き合ったときに、ニュートラルな視点から、フレッシュな頭で取り組むことができるはず。上手に悩めば、自分を苦しめている「問題」が自分を高める「課題」なっていく。自分の中に「イライラさん」を飼ったり、いったん離れてみたりしながら、」ストレスとともに暮らしましょう。と、短く書くとこういうことだそうだ。

 
 私はどっちかってぇと、のん気ものでストレスは感じ難いほうだと思っている。っていうかストレスは当たり前だと思ってるって方が正しいかな?ストレスが全くないなんて人はいないだろうしね。というわけで(?)どうせ付き合わなくちゃならんストレスさんなら、上手に距離を取って付き合っていきましょう♪